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幸せな報復

第20章 夏が終わって

「起きたんだね」
 その声は、電車の中の声と重なった。
「また……君に会えて、嬉しいよ」
 恵美の背中を、冷たい汗が伝う。息がうまく吸えない。
「私、あなたなんて知らない……っ!」
「でも、身体はちゃんと覚えてるよ」
「うるさい……っ、黙って、エルザ……!」
「エルザ? それ……誰?」
 男の声が、少しだけ歪んだように聞こえた。
 笑っている。けれど、その目は――どこまでも冷たい。
「この世界で、"どっち"が正しいかなんて、もう決められないんだよ」
「だって、君も――僕と同じ獣だろ?」
 恵美の視界が、暗転する。耳鳴りと心臓の鼓動だけが、やけに鮮明だった。

 その朝、恵美の中にいた“彼女”は、何かが起きることを知っていた。

 電車の車内。背中を汗が伝うのに、冷房の冷たさはまるで感じなかった。

「ねえ、気づいてる? この感覚……あなたのじゃないのよ」

 耳の奥に響く女の声。くすくすと笑いを含んだ、それでいて氷のように冷たい声。

「だれ……なの……?」
 恵美はつぶやいた。だが、誰にも聞こえていない。

 足元が震えている。かかとが勝手に上下する。まるで操られているように。

「いや……やめて……っ」

 腰がわずかに動いた。意識と裏腹に身体が先行している。
 彼女の中に、知らない誰かが入り込んでいる。

「力を抜いて……委ねて。私が見せてあげる。あなたの知らない感覚、知らない世界」

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