テキストサイズ

幸せな報復

第20章 夏が終わって

「黙って……エルザ……わたしは……わたしは……」

 視界が滲む。電車の風景が、歪んだ鏡のように揺れた。

(このままでは、おかしくなってしまう……)

「でも、おかしくなりたいと思ってるでしょう? 本当は。だってあなた……もう、ずっと我慢してたじゃない」

「違う……わたしはそんなの……」

「じゃあ、なぜ嬉しそうなの? その心臓の鼓動、ちゃんと聞こえてるわよ?」

 脳内に響く声と、実際の電車のアナウンスが重なって、どちらが現実かわからなくなっていく。

「だれか……助けて……!」

 叫ぼうとしたが、口が開かない。代わりに、笑みを浮かべていた。自分の意思ではない――のに。

「もうすぐよ。あなたは、わたしになるの。最初からそう決まっていたの」

 その瞬間、恵美の意識が一気に沈んだ。

 闇の底で、エルザの微笑が咲いていた。

 恵美は、あの男の触れた手に、なぜか“嬉しさ”を感じてしまった。それは彼女のものではない感情だった。明らかに“外側”から流れ込んできた何か。

(……エルザ……あなたの感覚、もういらない……)

「ダメよ、エルザ……このまま流されてしまったら……わたし、わたしがいなくなっちゃう……!」

 電車内、立ち尽くしたままの恵美の意識は、深い眠りへと沈んでいく。

ストーリーメニュー

TOPTOPへ