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手紙~天国のあなたへ~

第6章 別離

 今もあの娘はまたしても一人になったと泣いているのだろうか。あの別れの朝、彼を見送りに出てきたときも、泣くまいと必死に堪えている様子がいじらしくてならなかった。か細い身体をひしと抱きしめ、〝どこへも行かぬ。ずっと傍にいる〟と言ってやれたなら、どんなにら良かったのに。
「世子(セイジヤ)邸(チヨ)下(ハ)。どうか速やかに縛におつき下さい。もし邸下が抵抗なされば、手荒なことをしても構わないとの王命が下されております」
 見憶えのある髭面の兵が緊迫した声で告げる。その声音で、世子は一瞬の回想から解き放たれた。
 長い―幸せな夢を見ていたようだ。だが、夢はいつか醒めるときがくる。彼の無味乾燥な二十七年の生涯の中で唯一、生き生きと鮮やかに甦るあの日々は、もしかしたら本当に神仏が哀れな自分に束の間見せて下さった甘美な夢だったのかもしれない。

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