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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第9章 生まれ変わる瞬間

「貴様は何の権限があって、このような真似をする? 儂は仮にも国王殿下より正式に任じられている地方官だぞ?」
 若者が余裕の笑みで頷いた。
「良かろう。望みどおり、私の正体を教えてやる」
 彼がおもむろに懐から何かを取り出すと、再びインスが一歩前に進み出た。
「暗行御使(アメンオサ)出御(のおなり)、暗行御使出御」
 インスが声高に叫ぶ。
 世にも眉目麗しい若者は懐から出した馬牌を高々と掲げ、庭に集まった一同に見えるようにゆっくりと左右に動かした。
 尚凞の面に烈しい愕きの表情が浮かんだ。
「な、何と、あの都から参った青二才が暗行御使だったというのか」
 尚凞が愕然と呟き、がっくりとくずおれた。
 彼は漸く気づいたのである。たった今、自らの正体を暗行御使だと明かした若者は、村長の家に居候している両班ではないか。
 尚凞はいかにもいわくありげな若い両班と直接言葉を交わしたことはなかったが、〝視察〟の途中、遠目に見かけたことはあった。
 最初に執務室から出てきた暗行御使をひとめ見た時、どこかで逢ったことがあると咄嗟に思ったのは、そのせいだったのだろうか。
 いや、と、彼は即座に否定した。正直なところ、暗行御使の顔を見ても、尚凞の中ではあの両班と結びつきもしなかった。結びつくも何も、彼は若い両班の顔を近くで見たことがなく、はっきりとは知らないのだ。
 迂闊といえば迂闊だが、尚凞の瞼に浮かんだのは、もっと別の人物だったような気がする。では、それが何者かと問われれば、やはり今でもしかとは思い出せないのだが。
 この瞬間、彼の脳裡をよぎったのは、実に複雑な想いだった。やはり、山茶花村に突如として現れ、棲みついたというあの若者を怪しいと思った尚凞の勘は正しかったのだ!
 都から流れてきた両班―あまりの身持ちの悪さに、親にさえ見放されたということだったようだが、大方、それも正体を偽装するための周到な変身にすぎなかったのだ。
 二日前の朝、若者の乗る馬にちょっとした細工をさせたものの、見事に失敗してしまった。やはり、あのような生易しいものではなく、完全に息の根を止めておくべきだった。
 しかも、何者かが蔵に侵入したと知りながら、迅速に手を打たなかった。あと二、三日の中には財物を他へ移動させる手筈を整えていた最中に、御使が屋敷に踏み込んできたのだ。

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