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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第9章 生まれ変わる瞬間

 凛花は不安におののきながら、脚許を見やる。凛花ひとりが乗っただけでは到底割れそうにない厚い氷が音を立ててひび割れようとしている。
―そんな。
 シュルシュルという音が間近に迫ってくる。
 大蛇に屠られるのと、冷たい水底に沈むのと、どちらが早いだろう?
 まるで他人事のように考えている中に、氷は完全に真っ二つに割れ、凛花の身体は凍てついた湖の底に落ちた。
 不思議なことに、現実には泳げるはずなのに、夢の中では凛花は泳げないようだ。
 もがく凛花の口や鼻に水が一斉に入ってきて、呼吸できなくなる。必死で氷の縁にしがみつこうとしながら見上げた彼女の瞳に辛うじて映じたのは、インスの面に浮かんだ哀しげな微笑であった。
―く、苦しい。呼吸できない。
 凛花は冷たい水の中を水底に沈んでゆく。
 沈んでゆく感覚は妙に現実感があるのに、湖の水が少しも冷たく感じられないのが妙だった。その矛盾が、やはりこれは夢なのだと告げている。
 あまりの苦悶に凛花は喘ぎ、もがく。
 瞼の裏には、つい今し方、見たばかりのインスの哀しげな表情が灼きついていた。
 凛花は悟った。
 自分はやはり、インスを愛しているのだと。
 では、文龍は? 文龍の存在はどうなる?
 凛花はまだ、文龍を完全に忘れたわけではない。心のどこかで文龍を想いながら、インスを愛することなど、所詮できはしないのだ。
 刹那、凛花の心の底にすとんと落ちてきたある一つの想いがあった。
 ―それでも、私はインスを好き、必要としている。
 幾ら求めても、恋い慕おうと、文龍はもういない。凛花を抱きしめてくれないし、その名を呼んでくれることもないのだ。
 文龍さま、私、自分の想いに正直になっても良いですか?
 凛花は心の内で文龍に問いかけた。
 確かに今はまだ、文龍の死という事実を乗り越えたわけではない。しかし、いずれ凛花は乗り越えるだろう。乗り越えなければ、先へは進めない、生きてゆけないからだ。だから、望むと望まぬとに拘わらず、凛花は乗り越えなければならない。
 そして、いつか傍にいるインスの存在が凛花の心を満たすだろう。

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