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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第32章 変化(へんげ)

 興味本位の部分も幾ばくかはあったろうが、その噂はあながち否定はできなかった。泉水が泰雅との閨を忌むようになったのも、閨の中での常軌を逸した泰雅の態度が嫌になったのが始まりだからだ。
 そんな耳を覆いたくなるような噂を聞いた時、泉水の泰雅への幻滅は決定的なものとなった。
 そして、最も泉水の心を鋭く抉ったのは、こんな人々の口さがなき噂であった。
―お千紗の方さまは奥方さまに似ておわす。
―おお、そうとも。大きな声では申せぬが、殿はお千紗の方さまを奥方さまの代わりにご寵愛されておられるのよ。
 泉水は千紗の顔を殆ど知らない。実際に見たのは一瞬にすぎず、あのときの記憶を手繰り寄せてみても、あの娘が特別自分に似ているとは思えなかったが―。表の家臣たちも奥の女たちも誰もが皆、口を揃えて話しているというのだ。
 泉水と千紗の容貌は酷似しているという。ゆえに、いまだに泉水を忘れ得ぬ泰雅が千紗を傍に置き、愛玩していると専らの噂であった。それを聞いた時、泉水は愕然とした。
 たとえ意に添わぬ出逢いだとしても、千紗が泰雅を女として愛するようになれば、側室となった千紗も幾ばくかは報われるに相違ない。自身が泰雅の執拗な愛撫がいやで逃げ出しておきながら、そのような身勝手なことを願えるものではないと判ってはいても、千紗のためにも、それがいちばん良いことなのだと考えたりもした。
 そのためにも、泰雅が千紗を心底愛おしいと思うようになればとも思ったのだけれど、口さがない噂では、泰雅にとって千紗は文字どおり泉水の〝身代わり〟だと云う。更に酷いのは
―殿にとってお千紗の方は人形にすぎないのであろう。
 というものであった。
 もし、千紗がこの噂を耳にした時、どう思うだろうかと考えただけで、心が暗くなった。
 自惚れではない。一人の女として、心から愛されるならまだしも、他の誰かの代わりにされるというのは、たまらなく辛く悔しいことだと察したからだ。
 しかし、たとえ真実はどうあれ、今や泰雅の寵愛第一の側室となった千紗の心を、正室の泉水が知るすべはない。千紗の方は泰雅の寵愛にも奢ることもなく、元々が素直で純真な娘のことゆえ、泰雅に次第に身も心も靡いてきているらしい。

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