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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第32章 変化(へんげ)

 ところが、泰雅はいつになく熱心で、泉水以外の女にこれほど興味を示したのは、ついぞなかったことだった。そのため、河嶋の心も微妙に揺れ動いたらしい。やはり、河嶋にとって大切なのは、自らが育てた泰雅であり、この榊原家である。泰雅が幾ら惚れていようと、肝心の泉水は泰雅を頑なに拒み続けているし、泰雅は自棄になって酒浸りになっている。
 このままでは泰雅が駄目になってしまう。河嶋は日頃から憂えていたのだが、どのように新しい女を勧めても、泰雅は泉水以外の女には見向きもしない。現在、榊原家には世継黎次郎の他には泰雅の血を引く御子はいない。やはり、お家の存続のためには、若君が二、三人は欲しいところだ。それは何も河嶋だけではなく、榊原家に仕える人々のすべての願いでもある。
 そんな中、泰雅が初めて泉水ではない女に眼を止めた。しかも、何度もしつこく河嶋に千紗のことを訊ねてくるところを見れば、かなりの執心らしい。そのため、河嶋は千紗を呼んで、泰雅の閨に上がるようにと言い含めたらしいのだが―、千紗には惚れた男がいた。
 二つ上の従兄で、やはり名の知れた呉服問屋の倅であった。歳も家柄も似合いの二人である。それを知り落胆はしたが、河嶋はごり押しするほどの人間ではない。しかし、泰雅の並々ならぬ執着からして、千紗に手が付くのは時間の問題と見、一日も早く千紗を親許に返さなければと考えていた矢先の出来事であった。
 今朝、奥へやって来た泰雅が廊下を歩いていたところ、向こうから歩いてきた千紗とすれ違ったのである。運命とは皮肉なものだった。泰雅がそのような好機をみすみす逃すはずがない。かつては〝今光源氏〟と異名を取ったほど、女には手の早い男だったのだ。
 そして―、千紗は泰雅に近くの部屋に連れ込まれた。手込めにされようとしていたところを辛くも逃れた。泉水が目撃したのは丁度、そのときだった。が、結局、泉水は泰雅に連れ去られる千紗を見て見ぬふりをし、千紗は泰雅に今度こそ犯された―。
 それが、美倻が泉水に語ったすべてであった。
 泉水は、そのときから逃れられぬ罪の意識に悩むことになった。惚れ合った男がいたという千紗。あの時、泉水さえ千紗を身代わりにしなければ、千紗は誰もが羨む幸福を掴むはずであった。なのに。
 千紗への泰雅の寵愛は尋常ではなかった。

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