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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第32章 変化(へんげ)

 正式な侍妾ともなれば、奥向きに独立した部屋を与えられ、〝お部屋さま〟としての待遇を受けることができる。その立場も単なるお付きの腰元とは歴然と違う。
 良人が側室を持つのを正室が歓ぶというのは妙な話ではあったけれど、とりあえず最悪の事態だけは避けられたようだ。そのことに安堵の想いを抱いたのである。
 美倻はそれから仕入れてきた情報を語ってくれた。泰雅が手を付けた娘の名は千紗(ちさ)という。話は今朝のことになるが、泰雅が千紗に眼を止めたのは、ほんの偶然であったという。
 泰雅が数日前、軽い腹痛を訴えたため、侍医が急遽、呼ばれたのだが、診察の際、河嶋が心配して付き添った。その時、河嶋に付き従っていたのが部屋子(腰元見習い)だった千紗であった。千紗は日本橋の大店美濃屋の娘で、自ら御殿奉公がしたいと望んできた娘である。
 色白の大人しげな面差しが男心をくすぐるといえば、いえた。美濃屋といえば、江戸でも一、二を争う呉服太物問屋であり、千紗の父定市もいずれは娘に奉公を止めさせ、どこぞのお店(たな)に嫁に出すつもりであったようだ。大店の美濃屋の娘、更に大身の旗本の屋敷に奉公に出ていたとなれば、箔が付く。千紗ほどの器量、ましてや大人しい素直な娘であれば、相応の大店に縁づけるはずであった。
 父親は最初、内気な娘が自ら御殿奉公に行きたいと言い出したときは愕いたものの、それで内気なところが直れば良し、更に嫁入りに箔が付くと乗り気で奉公に出したらしい。大店の娘が嫁入り前に一時御殿奉公に上がるのは珍しくはない。千紗は榊原家の重臣の内藤(ないとう)主馬(しゆめ)を仮親として奉公に上がった。それが今からふた月ほど前のことになる。
 まさか、そのほんの一時のつもりの奉公が千紗の運命を変えることになるとは誰も考えてもいなかった。
 歳は十四だが、直に十五になる。数日前に千紗を見初めた泰雅は、何度か河嶋に千紗を閨によこすようにとほのめかしたようだ。しかし、河嶋が頑として取り合わなかった。
 河嶋にしても、十四の千紗をみすみす三十一になる泰雅の寝所に送り込むのは忍びなかったのだろう。無事奉公を終えて屋敷を下がれば、千紗には幸せな未来が待っている。それを、むざとたった一夜で台無しにするのは哀れであった。

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