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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第30章 花惑い

 脇坂にしてみれば、泰雅のそんな気性―あまりも烈しい愛情や独占欲が泉水を追いつめ、泰雅の傍から逃げ出さずにはおれなくさせたと思うのだが、当の泰雅はいっかな、その事には気付いてはおらぬようだ。
 むしろ、かつては〝今光源氏〟とあまたの女たちの熱い視線を集めた我が身がなにゆえ、そこまで嫌われるのか解せないらしい。泉水を娶るまで、泰雅に抱かれたいと願う女たちはひきもきらなかった。いや、今でも泰雅さえその気になりさえすれば、たとえ一夜の伽であれ、歓んでその寝所に侍る女は大勢いる。しかし、肝心の泰雅が泉水でなければ満足できない、泉水以外の女を抱く気にはなれないのだから、どうにもならない。
 脇坂が幾ら諭してみても、泰雅はついに聞き入れず、泉水を尼寺から連れ戻してしまった。しかも、泉水がこの命を拒めば、尼寺を取り潰すと脅迫までするという卑怯極まりなきやり方で。
 泰雅がそれほどまでにして泉水を引き寄せたいと望むに至り、脇坂は若き主君の心の奥底に、いまだに泉水に対する恋慕の想いが燠火のごとくひそやかに燃え盛っていることを知った。泉水を失ってからというもの、泰雅は、奥に閉じこもり、酒に溺れる自堕落な日々を送っていた。最初の中は若い腰元を一人傍に侍らせていたものの、それも直に止め、一人で黙々と盃を傾けるようになった。
 泉水のことを諦めろとはけして口には出せなかったものの、その代わりとして、脇坂は何度も泰雅に新しい後添えを迎えるように勧めた。人知れず姿を消した泉水は死んだものとして、仮の葬儀をひっそりと行った上で、継室を娶ってはと進言したのだ。いかにしても新しい妻を娶る気にはなれないのであれば、せめて側室を新たに置いてはとも言った。
 が、結局、泰雅は継室を迎えようとも側室を持とうともしなかった。ただ毎日、鬱々と酒に溺れる日々を過ごしているばかりであった。長年の荒んだ酒浸りの日々は、若い泰雅の身体を芯から蝕み、二年ほど前から泰雅は肝臓を患っている。顔色もかつての色白の細面であった貴公子ぶりはどこへやら、どす黒い不健康なものとなり、両の眼(まなこ)は虚ろで濁っている。以前は若い奥女中たちは競って殿のお世話をしたがったものだったのに、今は近付くことすら嫌がる有り様であった。

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