
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第8章 予期せぬ災難
いくら教えても味噌汁に砂糖を入れたり、大根の煮付けに醤油を入れなかったりする泉水を傍で笑って眺めているだけだ。
確かに不慣れな家事をするのは疲れはしたものの、泉水は生来、身体を動かすのは嫌いではない。こうやって自分で食事を作ったり洗濯をしたりしてみて初めて、これまで屋敷で女中たちがしてくれていたことがいかに大変であったかを身をもって知ることができた。
誠吉は家で仕事をすることが多い。従って、二人で過ごす時間も多く、泉水は仕事の邪魔にならぬように気を遣った。ひとたび細工に入ると、その背中には声をかけるのさえはばかられるような緊張感が漲る。逞しいがっしりとした体躯を張り詰めたような雰囲気が包み込む。
その一途な横顔は、まさに一つの道を極めようとする職人、自分の夢を追い求める男の真剣さに溢れていた。泉水は誠吉がそんな状態になると、できるだけ静かに物音すら立てないように細心の注意を払った。
今日も誠吉は小間物屋から注文を受けた品を明後日までに納めるとかで、朝からろくに休む間もなしに細工にかかっている。泉水の作った昼飯を食べた後、誠吉は再び仕事に取りかかっており、泉水はいつものように片隅で邪魔にならないようにしていた。慣れない家事の疲れと暑熱のせいか、いつしか微睡みに落ちていたようである。
「あっ、ごめんなさい」
横になって眠っていた泉水は慌てて身を起こした。
「良いんだよ。だから言ってるだろ、まだ傷が癒えたばかりなんだから、あまり無理するなって。疲れてるんじゃねえか」
誠吉から怖いほどの気迫は消えている。仕事がひと段落したのだろう。
「それよりも、また、うなされてたぜ」
気遣わしげに言う誠吉に、泉水はうつむいた。
「なあ、おさよ。俺はお前がどこの誰でも構わねえと思ってるんだ。そりゃア、自分がどこの誰だって判らねえっていうのは辛いだろうとは思うが、お前さえ良ければ、俺はお前にずっとここに居て貰っても良いと思ってる。お前はよくやってくれるし、俺は大助かりで、安心して仕事に打ち込めるんだ。かえって感謝してるくれえなんだぜ」
心からの言葉であることは判る。その優しさも気遣いも身に滲みた。
確かに不慣れな家事をするのは疲れはしたものの、泉水は生来、身体を動かすのは嫌いではない。こうやって自分で食事を作ったり洗濯をしたりしてみて初めて、これまで屋敷で女中たちがしてくれていたことがいかに大変であったかを身をもって知ることができた。
誠吉は家で仕事をすることが多い。従って、二人で過ごす時間も多く、泉水は仕事の邪魔にならぬように気を遣った。ひとたび細工に入ると、その背中には声をかけるのさえはばかられるような緊張感が漲る。逞しいがっしりとした体躯を張り詰めたような雰囲気が包み込む。
その一途な横顔は、まさに一つの道を極めようとする職人、自分の夢を追い求める男の真剣さに溢れていた。泉水は誠吉がそんな状態になると、できるだけ静かに物音すら立てないように細心の注意を払った。
今日も誠吉は小間物屋から注文を受けた品を明後日までに納めるとかで、朝からろくに休む間もなしに細工にかかっている。泉水の作った昼飯を食べた後、誠吉は再び仕事に取りかかっており、泉水はいつものように片隅で邪魔にならないようにしていた。慣れない家事の疲れと暑熱のせいか、いつしか微睡みに落ちていたようである。
「あっ、ごめんなさい」
横になって眠っていた泉水は慌てて身を起こした。
「良いんだよ。だから言ってるだろ、まだ傷が癒えたばかりなんだから、あまり無理するなって。疲れてるんじゃねえか」
誠吉から怖いほどの気迫は消えている。仕事がひと段落したのだろう。
「それよりも、また、うなされてたぜ」
気遣わしげに言う誠吉に、泉水はうつむいた。
「なあ、おさよ。俺はお前がどこの誰でも構わねえと思ってるんだ。そりゃア、自分がどこの誰だって判らねえっていうのは辛いだろうとは思うが、お前さえ良ければ、俺はお前にずっとここに居て貰っても良いと思ってる。お前はよくやってくれるし、俺は大助かりで、安心して仕事に打ち込めるんだ。かえって感謝してるくれえなんだぜ」
心からの言葉であることは判る。その優しさも気遣いも身に滲みた。
