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仮面舞踏祭~カーニバルの夜に~

第1章 祭りの夜

 あのときの男の顔といったら!
 いつもは従順で彼に逆らったことなんてない友里奈がいきなりな行動に出たものだから、眼を白黒させていたっけ。更に香恵はおもしろいことをやってのけてくれた。友里奈の前に突然現れたのと同じことを伸吾が結婚しようとしていたK社専務の令嬢にもしたのだ。
 清楚なお嬢様がカルチャースクールの花嫁修業から帰る途中、待ち伏せて大声で言い放ったらしい。
-伸吾さんを返して。私のお腹には彼の赤ちゃんがいるのよ。
 と。
 全く大根役者ばかりが揃った視聴率の悪い恋愛ドラマみたいで、自分がその中の登場人物の一人なのかと思うと、いやになる。しかし、香恵はあの男-伸吾にはこれ以上はないというほど痛烈なパンチを食らわしてやったのだ。
 当然ながら、お嬢様は事の真偽をよく確かめもせず父親に泣きつき、伸吾との縁談は破談、香恵以上にずるがしこい男の目論見は夢と潰えた。
 果たして、香恵の主張する妊娠が真実だったのかどうか。逃げ腰になった男を捕まえておくために、妊娠というのは女が使う常套手段だ。しかし、この全くもって古典的な方法が意外に男を引き止めておくには今も効果がある。時代がどれだけ変わろうと、人間という生き物がいかに情にほだされやすいかの証でもあるだろう。
 たとえ、伸吾のように、どうしようもなく狡猾かつ卑怯な男でも、だ。それは伸吾がその事件からもののひと月としない中に、いささか滑稽とも思えるほど大慌てで香恵と入籍したことでも知れる。
 まあ、噂では香恵の父親が伸吾の両親と暮らす自宅まで怒鳴り込んできたせいで、煮え切らない男が腹をくくった-なんてことまで囁かれているけれど。
 今更、友里奈にとっては、すべてがどうでも良いことだ。伸吾が誰と結婚しようが、自分は世間的には〝棄てられた女〟であることに変わりはないのだから。
 あんな男、こちから願い下げだ。伸吾と香恵の電撃入籍を耳にした瞬間、思ったはずだった。なのに、そうはいかなかった。

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