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ユリの花咲く

第2章 瑞祥苑

臨月まで働いて、敦子は産休に入った。

彼女は、もう少し早くに休みたかったらしいけれど、
飲食店も人手不足で、なかなか代理の目処が付かなかったのだ。

「有紀、私の後釜になってよ。社長には、オーケーもらってるんだから。小さな子供を抱えて、今みたいにフルタイムではできないから、私が戻っても、そのまま店長続けてくれていいし」

敦子は何度も私に頼んだが、それだけは許して、と断わり続けた。

もちろん、敦子にいじわるをしたわけではない。

けれど、どうしても敦子の後に、店長として据わる自信がなかった。

忙しい時の、店の回しかたも、客あしらいの上手さも、敦子に敵うとは思えなかった。

そして何より、固定客たちの敦子に対する思いだった。

敦子は、不思議な魅力を持っていて、男女問わず
、店に来るどんな客でも、敦子の虜になった。

仏頂面のヤクザ風の男や、喧嘩の真っ最中のカップルも、店を出る時には笑顔で『ありがとう』と言って帰る。

かわいいだけの看板娘なら、結婚したり妊娠したりすれば、彼女をお目当てに来ていた客は減ってしまうが、
敦子の妊娠を知った客は以前より頻繁に訪れるようになった。

「あっちゃん。お腹でかくなってきたなあ!」
「いい子産めよ」
「子育て終わったら、絶対戻ってこいよ」

と、口々に声をかける。

敦子には、とても敵わない。
私は思った。

そして私は、敦子の産休に入るまで、献身的に彼女を支えた。


敦子が産休に入り、新しく男性の店長がやってきた。

敦子の後を任されて、多分、彼も大変だったと思う。

私も出来る限りのフォローをし、相談相手にもなった。

そして2年後、敦子は復職し、私は退職することにした。

敦子は当然私を止めたが、私は敦子の家庭に、絶対に波風を立てたくなかった。

それに、私はひとつ、やってみたい仕事があった。

それが、介護士である。

私は初任者研修に通い、資格を取って、瑞祥苑の門を叩いたのである。

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