
Melty Life
第5章 本音
「あの、あかり先輩?」
「あ、ごめん。行こ」
指先が異様な柔らかみを握っていた。それが知香の腕だと気づいて、あかりは無意識による自分の行動に狼狽えながらも片手を下ろす。何事もなかった顔を繕う。
あの日も、廊下のど真ん中で、彼女を抱き締めたのだったか。…………
拒絶による反動だ。男を怖いと考えたこともないのに、父親や、来須は、怖い。
あの真面目な上級生に関しては、何か考えがあったのかも知れないし、あかりの顔色がよほど悪かったのかも知れない。それにしても来須が自分の身体を抱きとめたあと、嫌悪感しか残らなかった。あんな腕が、一昨日、水和を抱き締めたのか。自分はあんな腕を下回るのか。
…──もう少し待っていて、と、言ってくれたじゃないですか。先輩。
思い出を、美しい蓋が覆っていってしまう。水和の唇の質感も、香りも、思い出すことも罪になるほど遠ざかっていってしまう。
こんなにも水和に会いたいのに。
誰のものにもなりたくない、汚されたくない。よりによって来須にあんな顔をさせるほど、あかりは自分で自分を守れない人間に成り下がってしまっているのだ。まとわりつくおぞましさを知香の可憐さで洗い流そうとするほど、そしてずるい。
つと、今しがた知香の出てきた校舎がやたら騒がしい感じがした。悲鳴にもとれる生徒の幾筋かの声が、切迫した騒々しさに混じって、初夏が薄れかけたのどかな白い昼空に暗雲をもたらそうとしているようだ。ざわめきはみるみる不穏の濃度を強めて、エントランスを出入りする生徒らが数を増す。さっき出て行ったらしい生徒の一人が教師を二人、伴って戻ってきたようだった。
「こっちです、先生。咲穂さんが……」
「怪我は酷くなさそうなんですけどっ」
「皆、どいて。どこの階段?」
咲穂、と、生徒の一人は確かに言った。
仲良しとは無縁の妹でも、事件の渦中にいるのが本当にあの咲穂なら、他人事として立ち去るのも後気味が悪い。知香を瞥見すると、彼女は胸元に両手の指を絡めて青白い顔をしていた。
