
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第3章 幻の村
―私はトンジュが怖い。
サヨンは、この男が怖ろしかった。穏やかで、どこまでも優しいかと思えば、次の瞬間には牙を剥き出しにして喉笛に食らいつき、サヨンのすべてを奪い尽くそうとする。
そのあまりにも違いすぎる人格の差も、自分を見つめるときに感じる欲望にぎらついたまなざしも―どれもが怖かったし、嫌だった。
真昼間だというのに、ここはあまりにも薄暗い。
名前すら知らない樹々は、冬でもなお青々とした葉をたっぷり茂らせている。まるでサヨンにのしかかってくるように立ちはだかり威嚇する。まさにトンジュの存在そのもののようだ。
静寂が無限に続くどこかで、小鳥が啼く声が聞こえた。
翌日から、サヨンは熱を出して寝込んだ。どうやら、ここに到着したその日、異常な熱さを感じた原因は、それだったようだ。
無理もない、都を出て以来、サヨンにとってはあまりにも心身に負担をかける出来事が多すぎた。
信じていたトンジュの裏切り、突然の豹変。あまつさえ、遠い道程を強行軍で旅を続け、この山上の森に辿り着いた。サヨンの身体も心も疲弊し切っていた。
サヨンは十日近くもの間、夢と現(うつつ)の狭間をさ迷った。その間中、ずっと熱に浮かされていた彼女の髪を優しく撫で、救いを求めて差し出した手を握ってくれたひとがいた。
この人里離れた森の中にはサヨンとトンジュしかいない。だとすれば、サヨンの側にずっと付いていてくれたのはトンジュしか考えられなかった。
恐らく、トンジュの望みどおりに素直に身を委ねれば、彼はサヨンにとって優しいだけのトンジュに戻るに違いない。
が、サヨンは自分の気持ちを偽れない。サヨンはトンジュが怖いのだ。側に来ただけで膚が粟立つほど恐怖感すら感じている。そんな男に躊躇いもなく抱かれるのは難しい。
サヨンが床に伏している間に、トンジュは、ここで暮らしてゆくための様々なことを行ったらしい。まず愕いたのは、家が出来上がっていたことだった。
家といっても、ひと間しかない粗末なものである。それでも、煮炊きのできる小さな厨房と板敷きのちょっとした広さのある部屋が付いており、暮らし心地は悪くはなかった。
サヨンは、この男が怖ろしかった。穏やかで、どこまでも優しいかと思えば、次の瞬間には牙を剥き出しにして喉笛に食らいつき、サヨンのすべてを奪い尽くそうとする。
そのあまりにも違いすぎる人格の差も、自分を見つめるときに感じる欲望にぎらついたまなざしも―どれもが怖かったし、嫌だった。
真昼間だというのに、ここはあまりにも薄暗い。
名前すら知らない樹々は、冬でもなお青々とした葉をたっぷり茂らせている。まるでサヨンにのしかかってくるように立ちはだかり威嚇する。まさにトンジュの存在そのもののようだ。
静寂が無限に続くどこかで、小鳥が啼く声が聞こえた。
翌日から、サヨンは熱を出して寝込んだ。どうやら、ここに到着したその日、異常な熱さを感じた原因は、それだったようだ。
無理もない、都を出て以来、サヨンにとってはあまりにも心身に負担をかける出来事が多すぎた。
信じていたトンジュの裏切り、突然の豹変。あまつさえ、遠い道程を強行軍で旅を続け、この山上の森に辿り着いた。サヨンの身体も心も疲弊し切っていた。
サヨンは十日近くもの間、夢と現(うつつ)の狭間をさ迷った。その間中、ずっと熱に浮かされていた彼女の髪を優しく撫で、救いを求めて差し出した手を握ってくれたひとがいた。
この人里離れた森の中にはサヨンとトンジュしかいない。だとすれば、サヨンの側にずっと付いていてくれたのはトンジュしか考えられなかった。
恐らく、トンジュの望みどおりに素直に身を委ねれば、彼はサヨンにとって優しいだけのトンジュに戻るに違いない。
が、サヨンは自分の気持ちを偽れない。サヨンはトンジュが怖いのだ。側に来ただけで膚が粟立つほど恐怖感すら感じている。そんな男に躊躇いもなく抱かれるのは難しい。
サヨンが床に伏している間に、トンジュは、ここで暮らしてゆくための様々なことを行ったらしい。まず愕いたのは、家が出来上がっていたことだった。
家といっても、ひと間しかない粗末なものである。それでも、煮炊きのできる小さな厨房と板敷きのちょっとした広さのある部屋が付いており、暮らし心地は悪くはなかった。
