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不透明な男

第11章 背徳


慣れた手つきでオートロックを解除する。

エレベーターに乗り、部屋の前に着くとポケットからスペアキーを取り出した。


ガチャッ


智「おじゃましま~す…」


誰も居ない事は承知の上だ。
というか、わざわざ留守を狙ってここに来た。

久し振りに見る広い部屋。

スッキリと片付いていてやっぱり少し寂しさを覚えた。


智「いっぱいありがとね…」


感謝の気持ちが思わず漏れた。

誰も居ないその部屋で、俺はボソッと呟きながらテーブルに封筒を置いた。


智「…不振かな」


封筒には金を入れてある。
そんなものが急にテーブルに置かれていたら、見つけた奴は不振がるだろうかと、俺は引き出しに手を掛けた。


智「確かメモとペンがここにあったような」


メモを残そうかとペンを握った。
だけど、なんて書いていいのか分からなかった。

感謝の気持ちは書きたいが、それを読んだ時、どう思うだろう。

なんで直接渡しに来ないんだ、というかそんなもの要らない、返して欲しくてやった訳じゃ無いと怒りそうだった。


智「うぅ、困ったな」


早くここを出なきゃいけないのに。
まだ昼過ぎだし、帰って来ないのは分かってるけど、万が一という事がある。

もし今出会ってしまったら、俺はもう駄目かもしれない。

ダメだと分かっているのに、苦しめる事になるって分かってるのに、その胸に飛び込んでしまうかもしれない。


だって松兄ぃは優しいんだ。


絶対優しく笑って、元気にしてたか?と抱き締めてくれる筈だ。

そんな事されちゃ俺はもう。


智「はぁ、なんでこんな時に来ちゃったんだろ」


そんなの分かってる。
なんだかんだで松兄ぃの顔が見たかったんだ。
あの大きな腕で、俺を閉じ込めて欲しかったんだ。


智「ありがとう…で、いいか」


名前は残さなかった。

ただ、ありがとう、その一言だけ書いた。

松兄ぃならきっと分かる。

名前なんて残さなくても、すぐに気付いてくれる。



俺は今まで使ったであろう金額を入れた封筒を置いて、鉢合わせしない様にと、逃げるようにその部屋を出た。




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