
虹色の精霊に導かれて…
第92章 9月22日 ハワイから日本へ
真珠湾攻撃の生存者の元米海軍のアルフレッド・ロドリゲスさんの声が、イヤモニから聞こえてきた。
(アルフレッドさん…とってもイイ方だった)
「真珠湾攻撃のあったその日どのように過ごされていたのですか」
『 ちょうど朝ご飯を食べていたら非常警報が鳴り始めたので、
皆で武器庫に走っていったら、翼の下に日の丸を付けた戦闘機が上を飛んでいて、
日本(軍)だと分かったんだ。
真珠湾に爆弾を落とす音が聞こえたんだ、本当に心の底から怖かった』
『 (日本兵の)顔がはっきり見えた、かぶっている帽子も見えたよ。
すごい低いところまで(戦闘機が)降りてきたんだ。
ヤシの木の高さ位の低空飛行で(兵士の)顔が見えたんだ』
「日本兵の顔を見て大体同じ位の世代の方だったんですか」
『 その時21歳だったが、彼らも若く見えたよ。
20代だったと思う。その時恐怖しかなかった。
今思えるのは日本は日本のために行動した、私たちもアメリカのために行動した。
個人的な恨みはありません』
「そのような思いがあるから次の世代、次の世代へ語り継いでいこうとお考えなんですよね」
『 その通りです。ドウモアリガトウ、Thank you very much.』
〝自分たちの世代の記憶を次の世代に伝えることが大切だ〟
カメラの中継ランプが点灯した。
「戦艦アリゾナが沈む アリゾナ記念館を取材したときに、
ガイドの方が、
『アメリカ人にとって真珠湾は、日本人にとっての広島・長崎と同じだ』
という話をされていたのも 印象的でした。
アリゾナから70年以上漏れ出ているという油は、
『血と涙だ』 そんな話もされていました。
ここハワイは
日本から年間150万人にものぼる人が訪れるわけですけれども、
アリゾナ記念館まで足を運ぶ人は 決して多くないそうなんです。
ですので、担当者の方は、
『もっと日本人にも真珠湾での出来事を知ってもらいたい』
とおっしゃっていました」
カメラの中継ランプが点滅し始める。
イヤモニから村尾さんの肩り声が聞こえる。
(俺は、もっと…多くの人に仕えて行きたい…
俺のつたない言葉でも、言い続ける場所を、伝えて行く場所を 作らなきゃ…)
(アルフレッドさん…とってもイイ方だった)
「真珠湾攻撃のあったその日どのように過ごされていたのですか」
『 ちょうど朝ご飯を食べていたら非常警報が鳴り始めたので、
皆で武器庫に走っていったら、翼の下に日の丸を付けた戦闘機が上を飛んでいて、
日本(軍)だと分かったんだ。
真珠湾に爆弾を落とす音が聞こえたんだ、本当に心の底から怖かった』
『 (日本兵の)顔がはっきり見えた、かぶっている帽子も見えたよ。
すごい低いところまで(戦闘機が)降りてきたんだ。
ヤシの木の高さ位の低空飛行で(兵士の)顔が見えたんだ』
「日本兵の顔を見て大体同じ位の世代の方だったんですか」
『 その時21歳だったが、彼らも若く見えたよ。
20代だったと思う。その時恐怖しかなかった。
今思えるのは日本は日本のために行動した、私たちもアメリカのために行動した。
個人的な恨みはありません』
「そのような思いがあるから次の世代、次の世代へ語り継いでいこうとお考えなんですよね」
『 その通りです。ドウモアリガトウ、Thank you very much.』
〝自分たちの世代の記憶を次の世代に伝えることが大切だ〟
カメラの中継ランプが点灯した。
「戦艦アリゾナが沈む アリゾナ記念館を取材したときに、
ガイドの方が、
『アメリカ人にとって真珠湾は、日本人にとっての広島・長崎と同じだ』
という話をされていたのも 印象的でした。
アリゾナから70年以上漏れ出ているという油は、
『血と涙だ』 そんな話もされていました。
ここハワイは
日本から年間150万人にものぼる人が訪れるわけですけれども、
アリゾナ記念館まで足を運ぶ人は 決して多くないそうなんです。
ですので、担当者の方は、
『もっと日本人にも真珠湾での出来事を知ってもらいたい』
とおっしゃっていました」
カメラの中継ランプが点滅し始める。
イヤモニから村尾さんの肩り声が聞こえる。
(俺は、もっと…多くの人に仕えて行きたい…
俺のつたない言葉でも、言い続ける場所を、伝えて行く場所を 作らなきゃ…)
