
青い桜は何を願う
第7章 哀情連鎖
「……くくく」
「何がおかしい!」
莢は行夜に掴みかかった。
「──……っ」
莢の右手が宙に浮いた。驚異の瞬発力で、行夜に捕らわれたからだ。
「失礼」
莢は行夜の無骨な手を払いのけた。
行夜は笑顔を張りつけたままだ。
「感心しましたよ……希宮さん。さすがは氷華一の騎士、カイル・クラウスの魂を継いだお人だ」
「何っ、で……」
「単身でここまでおいでになるとは、噂の件で懲りたのではないかと多少の懸念もございましたが、俺は貴女を見くびっておりました」
「貴方が来いって言ったんじゃない」
恐怖か憤怒か。莢の胸で渦巻く熱は、いかなる感情がもたらすものなのだろう。
カイル・クラウスという人物を、行夜は知っている。何故だ?
「このような楽園をご覧になっても、貴女の心は頑なだ。無理もない。愛する少女の犠牲なくして成り立たない社会など、貴女には邪魔なだけでしょう」
カイルがいかにリーシェを愛していたか、知っていると言わんばかりの口振りだ。
「氷華がまだ人々の記憶に残っていた頃、数々の低級紙や風刺画、歴史書が世に出回っていました。氷華に関わる記事の多くは、天祈の役人の手によって焼かれたようですが、密かに読み継がれていた資料は数知れません」
「それにカイルのことが書いてあったの?」
「ええ。俺には前世の記憶はありません。リーシェ・ミゼレッタのように身体にしるしがあるわけでもない。俺が一般市民にしてカイル・クラウスを知っているのは、彼が、貴女が有名人だったからです。後世の者は、氷華の英雄達の多様な美談を書き記して娯楽にでもしていたのでしょう。俺が貴女を知ったのは、壁画の物語の中でです」
プライバシー保護も何もない、迷惑な壁画だ。
「時に希宮さん。この度、貴女をここに招いたのは──」
来た。
莢は、本能的に固唾を飲んだ。
「希宮さんにお願いがあるからです。旦那様のご意志には幾分背いてしまいますが、俺には譲れないものがある」
え、と莢が聞き返すまでに、行夜が歌う調子で話を続けた。
「貴女が良いお返事を下されば、旦那様や時枝さんには、カイルの生まれ変わりは人違いだったとご報告します」
「それを信じろと?」
「近くに、俺が銀月家の使用人として管理を任されている資料庫があります。まずはそこで、話を聞いていただきましょう」
