
禁断兄妹
第71章 君が方舟を降りるなら
「ただいま。そして、いらっしゃい」
艶やかな声と共に現れたお兄ちゃんに
家の中の空気が変わった。
「こんにちは!おじゃましています!」
「一ノ瀬家へようこそ。寒い中良く来てくれたね」
光を放っているようなその堂々とした姿
見つめていたくて
目を逸らしたくて
混乱する感情に胸が焼かれる。
「みんな立ち上がっちゃったね。座ってていいんだよ」
笑いながら私達のほうへ歩いてくるお兄ちゃんから
静かな波のように広がるムスクの香り
「たかみちゃん。萌がいつもお世話になってるね。今日は来てくれてありがとう」
感激してる様子のたかみちゃんと二言三言、言葉を交わして
握手してくださいっ!とたかみちゃんが差し出した両手を
楽しそうに握った後
お兄ちゃんは
ゆっくりとタカシ先輩に向き合った。
「‥‥久しぶり」
お兄ちゃんの切れ長の瞳が
微笑むように細くなった。
タカシ先輩は
ご無沙汰しています、と微笑みを返しながら
きちんと頭を下げた。
「本日はお招き頂きましてありがとうございます。大変な時にお邪魔して、すみません」
「招いたのは萌だけど、萌の客は俺の客だ。歓迎するよ」
「お兄ちゃん、タカシ君と会ったことがあるんですって?」
お母さんの声に
お兄ちゃんはふふっと笑って
「ああ、偶然。俺が会った時は、まだ萌の彼氏だった」
「そんな言い方して。
タカシ君ね、尭柚瑠ってお名前で、あの有名な指揮者の尭さんがお父様なんですって。それは知ってた?」
「へえ‥‥それは知らなかったな」
「柊さん。後で少しお時間を頂けませんか。お話がしたいんです」
「いいよ。今じゃなくていいの」
「今日お邪魔した目的は、萌さんの記憶に関する話をする為なので。僕の個人的な話は、後で構いません」
「そう。じゃあ、君の帰り際にでも」
二人の会話をじっと見守りながら
私は息をするのも
忘れていて
「柊はダイニングでいいって言うから、みんなの声だけ聴かせてあげてね。
さあみんな、座りましょ」
お母さんの声で我に返ると
お兄ちゃんと目が合った。
心配するな
微笑む唇が
声を出さずに動いた。
心配
何を
ドクンドクンと波打つ心臓の音が
こめかみに響く。
───心配するな───
別に何も
してないよ
