
龍虹記(りゅうこうき)~禁じられた恋~
第1章 落城~悲運の兄妹~
「ええい、どこまでも気に喰わぬ奴だ」
もう一度、蹴り上げられ、千寿の身体が鞠のように撥ね、地面に転がった。
今度こそ動かなくなった千寿の身体を、嘉瑛はまるで棒きれを転がすように足先で蹴った。その刹那。
千寿がわずかに顔だけ持ち上げて嘉瑛を見た。
怒りや憎しみの果てにある感情を何と呼ぶのか、人は知らない。まさしく、そのときの千寿の瞳は、そんな空しさを宿していた。
嘉瑛を憐れむかのような、蔑むかのような瞳に、嘉瑛が鼻白む。
後はそのまま舌打ちして去ってゆく嘉瑛の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、千寿は意識がすうと遠のいてゆくのを感じていた。
「大丈夫か」
「もう死んでいるのであろう」
口々に誰かが何か話しているのが遠く聞こえてくるようだ。
実は千寿を取り囲み覗き込む家臣たちの声であったのだが、その声もやがて千寿の耳には届かなくなった。
木檜嘉瑛は怖ろしい男であった。彼が近隣諸国の武将だけでなく、家臣たちからも怖れられるのには、まずは彼の生い立ちから語らねばならない。
嘉瑛には二人の兄と一人の弟がいた。その中(うち)、次兄は早くに病死している。嘉瑛は残る二人の兄弟をことごとく殺している。いや、彼が手を掛けたのは同胞(はらから)だけではなく、実の父をもであった。十九歳の折、父が何かと素行に問題の多い自分をひそかに抹殺しようとしているのを知り、先手を取って、これを阻止したばかりか、父を領内の寺に幽閉した。
彼の父は病死ということにはなっているが、そんなことを信じている者は家臣たちの中には一人もいない。恐らくは嘉瑛が父の食べる食事に毒を盛ったのではないか―と、囁かれていた。というのも、彼の父の死に方は尋常ではなかったからだ。その死に様は苦悶に歪み、身体中に服毒死によることを示す赤い斑点、即ち中毒症状が出ていたという。
父を殺した後、嘉瑛は重臣たちを押し切って家督を継ぎ、木檜の国の国主となる。それから、次々と邪魔者を消していった。まず、生意気で嘉瑛を眼の仇にしていた弟を夜半、その屋敷に押し入り、嘉瑛自らが討ち取った。その三ヵ月後には、病と称して城の奥深くに引きこもり、見舞いにきた兄を彼の近習が斬った。兄と弟を成敗した理由は、いずれも国主への謀反であった。
もう一度、蹴り上げられ、千寿の身体が鞠のように撥ね、地面に転がった。
今度こそ動かなくなった千寿の身体を、嘉瑛はまるで棒きれを転がすように足先で蹴った。その刹那。
千寿がわずかに顔だけ持ち上げて嘉瑛を見た。
怒りや憎しみの果てにある感情を何と呼ぶのか、人は知らない。まさしく、そのときの千寿の瞳は、そんな空しさを宿していた。
嘉瑛を憐れむかのような、蔑むかのような瞳に、嘉瑛が鼻白む。
後はそのまま舌打ちして去ってゆく嘉瑛の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、千寿は意識がすうと遠のいてゆくのを感じていた。
「大丈夫か」
「もう死んでいるのであろう」
口々に誰かが何か話しているのが遠く聞こえてくるようだ。
実は千寿を取り囲み覗き込む家臣たちの声であったのだが、その声もやがて千寿の耳には届かなくなった。
木檜嘉瑛は怖ろしい男であった。彼が近隣諸国の武将だけでなく、家臣たちからも怖れられるのには、まずは彼の生い立ちから語らねばならない。
嘉瑛には二人の兄と一人の弟がいた。その中(うち)、次兄は早くに病死している。嘉瑛は残る二人の兄弟をことごとく殺している。いや、彼が手を掛けたのは同胞(はらから)だけではなく、実の父をもであった。十九歳の折、父が何かと素行に問題の多い自分をひそかに抹殺しようとしているのを知り、先手を取って、これを阻止したばかりか、父を領内の寺に幽閉した。
彼の父は病死ということにはなっているが、そんなことを信じている者は家臣たちの中には一人もいない。恐らくは嘉瑛が父の食べる食事に毒を盛ったのではないか―と、囁かれていた。というのも、彼の父の死に方は尋常ではなかったからだ。その死に様は苦悶に歪み、身体中に服毒死によることを示す赤い斑点、即ち中毒症状が出ていたという。
父を殺した後、嘉瑛は重臣たちを押し切って家督を継ぎ、木檜の国の国主となる。それから、次々と邪魔者を消していった。まず、生意気で嘉瑛を眼の仇にしていた弟を夜半、その屋敷に押し入り、嘉瑛自らが討ち取った。その三ヵ月後には、病と称して城の奥深くに引きこもり、見舞いにきた兄を彼の近習が斬った。兄と弟を成敗した理由は、いずれも国主への謀反であった。
