
激愛~たとえ実らない恋だとしても~
第6章 第二話・其の弐
〝万葉集〟にも収められているという歌人柿本人麻呂の詠んだ唄。
あの日、美空は孝俊から求愛され、妻になって欲しいと言われたのだ。江戸に初雪が降った日で、雪の舞う中、孝俊は自分の想いをあの唄に託して美空に贈ってくれた。美空はその唄を、あのときの想い出を今でも宝物のように大切に胸にしまっている。その孝俊の気持ちを何よりも嬉しいものだと思ったあの時。
まさかも、あの日には、こんな哀しいことにあなるとは考えてもいなかった。あの日からそろそろ二年近くが経とうとしている。美空は、あの頃がもう随分と昔の出来事のように思えてならなかった。あの歓びの日から、自分たちは何と遠くまで流されてきてしまったことか。
蝉の声にふと涙が溢れそうになり、美空がそっと袂で眼を押さえた時、背後で揶揄するような声が響いた。
「何をお嘆きでしょうか、麗しい方」
美空はその声に現に引き戻される。弾かれるように面を上げると、その声の主が前に回り込む。
美空の見知らぬ若い男が眼前に立っていた。声そのものは良人孝俊に似ておらぬこともないけれど、大好きな良人の声を美空が聞き紛うはずがない。
見たことのない顔だった。声質が似ているせいなのか、顔の輪郭もどことはなしに孝俊に似てはいるが、整った面立ちながら精悍さを感じさせる孝俊に比べ、こちらは美麗な面にそこはかとなき色香を漂わせ、まさに優男といった感じだ。年の頃も孝俊とほぼ同じか。
身の丈は孝俊の方が幾分かは大きいように見える。美空が突如として現れた男を呆気に取られて見つめていると、男が口許をほころばせた。
「どうした、私があまりに良い男ゆえ、見惚れておられるのか?」
全く、自惚れの強い男だ。
いきなり現れて、とんでもないことを言い出す男に美空は呆れる。
「あなたは―」
奥向きは、藩主以外の男子にとって一切、禁域のはずである。それが白昼から堂々と現れた男はいっかな悪びれる風もない。
見れば、縹色(薄い水色)の着物に、紫の袴を着た身なりは上等だ。その洗練された物腰や品のある立ち居振る舞いからも、かなりの身分の武士だと判った。
あの日、美空は孝俊から求愛され、妻になって欲しいと言われたのだ。江戸に初雪が降った日で、雪の舞う中、孝俊は自分の想いをあの唄に託して美空に贈ってくれた。美空はその唄を、あのときの想い出を今でも宝物のように大切に胸にしまっている。その孝俊の気持ちを何よりも嬉しいものだと思ったあの時。
まさかも、あの日には、こんな哀しいことにあなるとは考えてもいなかった。あの日からそろそろ二年近くが経とうとしている。美空は、あの頃がもう随分と昔の出来事のように思えてならなかった。あの歓びの日から、自分たちは何と遠くまで流されてきてしまったことか。
蝉の声にふと涙が溢れそうになり、美空がそっと袂で眼を押さえた時、背後で揶揄するような声が響いた。
「何をお嘆きでしょうか、麗しい方」
美空はその声に現に引き戻される。弾かれるように面を上げると、その声の主が前に回り込む。
美空の見知らぬ若い男が眼前に立っていた。声そのものは良人孝俊に似ておらぬこともないけれど、大好きな良人の声を美空が聞き紛うはずがない。
見たことのない顔だった。声質が似ているせいなのか、顔の輪郭もどことはなしに孝俊に似てはいるが、整った面立ちながら精悍さを感じさせる孝俊に比べ、こちらは美麗な面にそこはかとなき色香を漂わせ、まさに優男といった感じだ。年の頃も孝俊とほぼ同じか。
身の丈は孝俊の方が幾分かは大きいように見える。美空が突如として現れた男を呆気に取られて見つめていると、男が口許をほころばせた。
「どうした、私があまりに良い男ゆえ、見惚れておられるのか?」
全く、自惚れの強い男だ。
いきなり現れて、とんでもないことを言い出す男に美空は呆れる。
「あなたは―」
奥向きは、藩主以外の男子にとって一切、禁域のはずである。それが白昼から堂々と現れた男はいっかな悪びれる風もない。
見れば、縹色(薄い水色)の着物に、紫の袴を着た身なりは上等だ。その洗練された物腰や品のある立ち居振る舞いからも、かなりの身分の武士だと判った。
