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山茶花(さざんか)の咲く村~男装美少女の恋~

第2章 もみじあおいの庭

「両班に生まれたのも、父親が右議政なのも、何もあの男が偉かったわけではない。何の努力もせず、のほほんと与えられる特権を享受しているだけだ。なのに、身分にどっかりと腰を据えて、弱き民をいたぶり、苦しめるとは両班の風上にも置けぬ奴だ」
 文龍は吐き捨てるように言った。普段、他人を悪くなど言ったことのない彼がここまで言うからには、相当腹に据えかねているのだろう。
「よくやった、凛花。そなたは自分の危険をも顧みず渦中に飛び込み、酒場の女将を助けた。その気概は大の男でもなかなか真似できるものではない。私は、そなたを誇りに思うよ」
「そんな」
 凛花は頬を紅くしながら、かぶりを振った。
「私は、そのように褒めて頂くほどのことは何もしていません。ただ、人として当たり前のことをしただけですもの」
「人として当たり前のことか」
 文龍は凛花の言葉をそのままなぞり、思案に耽るような眼で宙を見据えていた。
「そなたは当然の行為だと言うが、その当たり前のことができる人間はそうそうはおらぬ。皆、心は痛んでも、自分が巻き添えになるのを怖れて他人の不幸は見て見ぬふりをして通り過ぎるものだ」
 〝凛花〟と呼ばれ、凛花は文龍を見つめた。
「そなたは、これからもそなたらしく生きてゆくのだよ」
「私らしく?」
 今度は凛花が文龍の言葉を繰り返す番だった。不思議そうに見上げる凛花に、文龍は優しい笑みで頷く。
「そうだ。何をも怖れず、困難を困難とも思わず、試練と受け止めて自力で乗り越えてゆく。そなたの雄々しさに私は惚れた。これから先、何があったとしても、そなたにはその強さ、優しさを失わないで欲しい」
「判りました。私は文龍さまのおっしゃるように、自分がそんな凄い人間だと思ったことはないのですが、文龍さまがそのように思っていて下さるのなら、そう致します」
 文龍が両手をひろげる。
「おいで」
 しかし、凛花は首を振った。正式に婚約してから一年近く経つが、文龍とは実はまだ、口づけどころか抱擁したこともないのだ。
「私がどれだけ我慢しているか、そなたは判っているのか?」

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