
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第30章 花惑い
一歩、二歩と踏み出す。数歩あるいたところで、鶯が人の気配を敏感に悟ったものか、翼をバサバサとはばたかせた。
「待って、行かないで」
泉水は呟く。
鳥が泉水を見る。
泉水もまた鳥を見た。
しばしの静寂が両者を包み込む。その瞬間だけ、刻が止まったようであった。
鳥は泉水を物問いたげな顔で見つめる。
泉水はまた、脚を前へと踏み出した。
刹那、鳥が慌ただしく羽音を響かせ、飛び立った。
「待って!」
鳥が飛び立つと共に、止まった時間が再び流れ出す。泉水は鳥を追いかけようとして、数歩あるいた。だが、鳥は直に高く飛翔し、青空へと吸い込まれて消えた。
泉水は走り出そうとするも、よろめくようにして止まり、その場にくずおれた。
「置いていかないで―、私も連れていって」
眼に熱いものが込み上げる。あの鳥と共にゆけば、あの空の高みまで飛んでゆけるはずだ。時橋がいるあの空の彼方まで鳥のように飛んでゆけたら良いものを。
「私も鳥になりたい」
泉水は大粒の涙を零した。鳥のように翼があれば、どこにでも好きな場所に飛んでゆけるのに。泰雅の手の届かぬところまで逃れることができるのに。泉水を誰も知らない場所に行って、ひっそりと暮らしたい。あの男に見つからぬ、どこか遠くへゆきたい。
熱い雫が白い頬をすべり落ちる。
どれくらいの間、そうやっていたのか。実際には、たいした刻ではなかっただろう。泉水はのろのろと身体を起こし、立ち上がる。
衣に付いた泥を片手で無造作に軽く払った。この屋敷に連れてこられてから数日になるが、泉水はいまだに法衣を身に纏っている。つまり、尼姿のままであった。また現実として、泉水はまだ僧籍に入ったままの身であり、〝蓮照尼〟であった。
その間、泰雅の訪れは一度としてない。それだけが、せめてもの救いではあった。
と、背後で脚音が響き、泉水はハッと振り返った。
「待って、行かないで」
泉水は呟く。
鳥が泉水を見る。
泉水もまた鳥を見た。
しばしの静寂が両者を包み込む。その瞬間だけ、刻が止まったようであった。
鳥は泉水を物問いたげな顔で見つめる。
泉水はまた、脚を前へと踏み出した。
刹那、鳥が慌ただしく羽音を響かせ、飛び立った。
「待って!」
鳥が飛び立つと共に、止まった時間が再び流れ出す。泉水は鳥を追いかけようとして、数歩あるいた。だが、鳥は直に高く飛翔し、青空へと吸い込まれて消えた。
泉水は走り出そうとするも、よろめくようにして止まり、その場にくずおれた。
「置いていかないで―、私も連れていって」
眼に熱いものが込み上げる。あの鳥と共にゆけば、あの空の高みまで飛んでゆけるはずだ。時橋がいるあの空の彼方まで鳥のように飛んでゆけたら良いものを。
「私も鳥になりたい」
泉水は大粒の涙を零した。鳥のように翼があれば、どこにでも好きな場所に飛んでゆけるのに。泰雅の手の届かぬところまで逃れることができるのに。泉水を誰も知らない場所に行って、ひっそりと暮らしたい。あの男に見つからぬ、どこか遠くへゆきたい。
熱い雫が白い頬をすべり落ちる。
どれくらいの間、そうやっていたのか。実際には、たいした刻ではなかっただろう。泉水はのろのろと身体を起こし、立ち上がる。
衣に付いた泥を片手で無造作に軽く払った。この屋敷に連れてこられてから数日になるが、泉水はいまだに法衣を身に纏っている。つまり、尼姿のままであった。また現実として、泉水はまだ僧籍に入ったままの身であり、〝蓮照尼〟であった。
その間、泰雅の訪れは一度としてない。それだけが、せめてもの救いではあった。
と、背後で脚音が響き、泉水はハッと振り返った。
