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胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第4章 《新たな始まり》

 むろん、あくまでも彼自身が知る範囲においてはのことだけれど。もし仮に、自分が関係を持った女に子ができたと知れば、彼はたとえ女に愛情を抱いていなかったとしても、その子を我が子として認め、それなりの待遇を与えたに相違ない。泰雅はそういう男であった。
 女がわっと泣き伏した。急に腕の中に飛び込んできた女を、泰雅は愕いて受け止めた。か細い背中が小刻みに震えている。
―一体、腹の子父親はどこのどいだ。許せねえ。
 泰雅は以前の彼ならば鼻で嗤うような、ささやかな正義感に燃えて憤慨した。
 果たして自分が手を伸ばして良いものかと少し躊躇った後、おずおずと女の背中に手を回す。女は泰雅の広い胸で烈しく泣きじゃくった。
 泰雅は幼い子をあやすように、優しく背を撫でてやる。
 どこからともなく風が吹き、橋のたもとの桜の樹がざわめいた。泰雅は義憤に駆られながら、色濃く茂った緑の葉が揺れるのを眺めていた。

 寝所の中はひそやかな静寂で満たされている。千尋の海の底を思わせるほどの静けさの底で、低い衣擦れの音が妖しく響いていた。
 うつ伏せになった泉水は錦の夜具に顔を押しつけている。背後から急に刺し貫かれ、泉水はあえかな呻き声を上げた。
「泉水―」
 名を呼ばれても、茫漠しとした頭では返事を返すことさえできない。
「泉水、返事をしてくれ」
 重ねて言われ、泉水は口を動かそうとしたが、言葉にならない。喉元まで出かかっているのに、そこでつかえて言葉にできない。
 その時、唐突に烈しい快感が身体の奥底から湧き出てきた。それは泰雅に深々と咲く貫かれた場所から生まれ、ひそやかな歓喜となって全身に漣のようにひろがってゆく。歓喜の波は一度ではなく幾度も湧き起こり、次第に烈しい一つの高まりとなり、泉水の全身を駆け抜けた。まるで自分の身体が高みまで上り詰め、そこからまた一挙に急降下したような、そんな感覚であった。
 その初めて体験した感覚は、しばらくも泉水の中に残り、泉水はふわふわとまるで水中を漂うような快さと頼りなさを同時に味わっていた。小刻みに身を震わせる泉水を泰雅が背後から愛しげに抱きしめた。

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