テキストサイズ

胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】

第26章 別離

だが、その想いは、いかにしても時橋には言えない。いや、当の泉水自身がまだ己れの内に芽生えているその想いから、できれば眼を逸らしていたい。
 それでも、先に夢五郎が来てから既にひと月以上が経過している。もっとも、年末年始は夢五郎だとて忙しいのかもしれない。いつものように頻繁に間を空けず顔を出すのは難しいのだろう。そう思えなくもないが、月に二、三度は見る顔を一度も見なければ、何となく所在ないような、淋しいような気持ちになってしまう。
 満腹になった黎次郎はほどなく、すやすやと寝息を立て始めた。時橋が腕を差し出す。あどけない顔の嬰児(みどりご)をそっと時橋に渡すと、泉水は自分でも知らぬ中に吐息を洩らしていた。
「姫さま?」
 時橋が気遣わしげに訊ねる。
「いかがなされましたか?」
 生まれたちたその日からずっと泉水の傍にいる乳母の存在は心強い。が、いつも傍にいたたげに、時橋は当の泉水でさえ気付かないような心の奥底にある想いを鋭く見抜いているときがある。
 泉水はハッと我に返った。時橋の者と痛げなまなざしにぶつかり、そっと眼を逸らす。
「何でもない。ちと考え事を致しておっただけじゃ」
 自分でも必要以上に素っ気ない口調になる。それが、かえって不自然に思われはせぬかと、また余計な気を回すことになる。
 これまで時橋にだけは、どんなことでも打ち明けてきた。しかし、事が事だけに、しかにしてもこの胸中は討ち明けかねる。
 時橋は淡く微笑んだ。
「姫さまのお心の内、この時橋が判らぬとでもお思いでいらっしゃいますか? 夢五郎さまのことをお考えになっていらしゃったのでございましょう」
 どこか揶揄するような声に、泉水は少し苛立ちを滲ませた口調で言い返す。
「そのようなこと、あるはずがないではないか。私はいずれは光照さまのおん下で出家を致す身。そのような俗世を捨てようかとすら考える者がどうして殿方のことを考えたり致そう」
 時橋はそんな泉水を痛々しげに見つめていた。
「姫さま。そのことで私はかねてから姫さまに申し上げようと思うておりました」

ストーリーメニュー

TOPTOPへ