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『春宵(しゅんしょう)』

第1章 春宵(しゅんしょう)

 2

 わたしは…
 約束の時間よりワザと遅れてオフィスを出た。

 春の夜空は、すっかりと宵の帳が降りていた…
 そして、ほのかに甘い夜桜のかほりがゆらゆらと漂い、鼻腔をくすぐってくる。 

 ふと見上げると…
 ビルの隙間から鋭い下弦の三日月が、街路樹のしだれ桜を蒼く照らしていた。

 わたしはその微かな甘いかほりに包まれながら愛しい彼の待つホテルへ…
 ヒールの音を、アスファルトの夜道に冷たく響かせながら足早に向かっていく。

 なぜなら、あまりにも遅過ぎてもダメだから…

 だって、彼とは…

 一緒の夜明けを迎えることはできないのだから。

 だからそれは…

 ほんの少しの…

 焦れる程度に待たせるだけの…

 昂ぶる夜を迎える為の悪戯に過ぎない…

 それがわたしの心の、ささやかな抵抗でもあるから。

 そして…

 より少しでも濃く愛され…

 より昂ぶり、匂いに溶け…

 春の夜明けを迎えたいから…
 

 わたしは、細く鋭い下弦の月光に、蒼く照らされた、まだ、三分咲きのしだれ桜の並木道を…
 
 高鳴る鼓動の様にヒールを響かせ…

 彼の元へと、歩みを速めていく。




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