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幸せな報復

第20章 夏が終わって

 声が増幅し、思考の底をかき乱す。

 夏休みの初日、恵美は何も知らなかった。彼ら親子が、どんな過去を背負い、どんな決断をして生きてきたのか――そんなこと、知るはずもない。ただ、エルザは確信していた。自分の「数万年の経験」と「本能的な色香」で、畑野家を思いのままにできると。

 だが、現実は違った。
 特に勘太郎は、恵美の体に“誤って”触れたにもかかわらず、目を背けるように謝罪し、頑なに距離を取ろうとした。潔癖で、誠実で、少し不器用な男だった。

(通じないなんて……あの人、本当に人間なの?)

(だからこそ、興味を持ったくせに)

 二つの人格はやがて、自分たちの棲み分けに最適化されていく。一方は優等生で学園のアイドル。もう一方は、身体の奥で蠢く本能に忠実な影の住人。

 表と裏。昼と夜。

 互いに主導権を争いながらも、一つだけ共有する目的があった――それは、「畑野親子を、自分たちのものにする」こと。

 違いはあった。
 恵美は、家族として側にいたいと願った。
 エルザは、肉体を介して支配したいと願った。
 けれど、どちらも「独占したい」という衝動から逃れられなかった。

 本来、統合された存在であれば、衝動と理性を両立させ、慎重に歩を進められたはずだった。だが分裂した今、力は半減し、けだもの族としての本来の力――予知や共感のような精神的能力すら、ろくに使えなくなっていることに、彼女たちはまだ気づいていない。

 そうして彼女たちは、畑野家に“入り込み”、浩志と二人きりになる機会を確保した。卒業研究という名目で、恵美の身体を浩志のそばに置く。その行動自体が、既にどちらの意志によるものか判然としない。

(ねえ、浩志が手を取ってくれたら、それでいいの。わたしだけを見てくれたら……)

(違う。触れられるのは“わたし”だけでいい。彼の本能ごと、奪い尽くす)

 二つの声が、身体の奥で交差する。
 そして恵美はふと、自分がいま、どちらの声で考えているのか――わからなくなった。
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