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幸せな報復

第20章 夏が終わって

(……わたし、おかしくなってる? それとも……これが、“ほんとうのわたし”?)

 自分の中に、誰かがいる。そう言ってしまえば簡単だ。だが、説明できないものは常に「錯覚」や「病気」として処理される。それが一番、安全だから。

 ――けれど。

(あの日からだ……勘太郎に触れられた、あの日から……)

 その手の感触が、未だに皮膚の奥でざわめいている。思考の奥深くで、誰かが笑っている気がした。どこからともなく、もう一つの視線が差し込んでくる。

「ねえ、気づいているんでしょう? わたしのこと」

(ちがう……わたしは……)

 恵美は、思わず頭を振った。が、内側から声は止まらなかった。

「拒まないで。だって、あなたが扉を開けたのよ。あの時、あの触れられた瞬間に――心の鍵が壊れたの」

(鍵……? わたしが?)

 目の前がぐにゃりと歪んだ。電車の蛍光灯がちらつき、目の端に黒い影が揺れた気がする。誰もいないはずの窓に、微笑んだ自分の顔が映っている。

 でもそれは、自分ではない。

(夢……だったのよね? でも……どうして、こんなに身体がざわつくの……?)

 数時間後、ベッドで目覚めたときには、全身に残る妙な震えがあった。記憶は断片的で曖昧だったが、何かが「起こった」実感だけが体内に残っていた。

「どうして怖がるの? あなたが望んだことなのに」

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