
メランコリック・ウォール
第52章 巡
心も、体も、元気になったらまた…。
その言葉は何日も脳内にこだましていた。
…―――――
あの事件から、2週間以上が経過した。
12月24日。
私は台所でポットパイを作っている。
「アキ―。」
「なあに?」
「線香がなくなりそう。ストック無いよな?」
「うん、今あるので終わりなの。買ってこなきゃね。」
キョウちゃんのお母様の仏壇には、小さなエコー写真が置かれている。
いつかもしまた子供を授かれたら、その子に見せてあげようねと誓って…――。
「あいつ、なかなか良いのを選んだな。ふふ」
お父様がニシンを捌きながら笑った。
私の大好きな魚を、今朝マサエさんが市場で買ってきてくれたものだ。
「ほんと、立派なニシンですね。ああ、楽しみ!」
流産を認識したあの時…私の手を握りしめるキョウちゃんを見て、なぜだか悲しみが湧かなかった。
あったのは虚無感と、泣きそうな彼への…慰めにも似た気持ちだった。
人間の感情とは不思議なものだなと、どこか他人事のように感じていた。
こんな時、涙を流して、赤ちゃんをなくした悲しみに打ちひしがれるのが普通なのかもしれない…なのに私は、退院してからも涙を流せずにいた。
あの事件、そして流産。
事を知った義父があらためて掛け合い、警察にしごかれたのも効いたのか、オサムが離婚届を書いたと連絡が入った。
そして受理証明書が郵送で届き、中には義父からの手紙も添えられていた…。
これが、先週の話だ。
受理に伴って私は旧姓の「緑川」に戻った。
まさかまた戻ってきちゃうなんて、お父さんとお母さんは空の上でびっくりしているだろうな…。
