
氷華~恋は駆け落ちから始まって~
第5章 彷徨(さまよ)う二つの心
「刺繍くらいで手は荒れないわ」
トンジュの最後の言葉が心に滲みた。あと一滴で満杯になる杯に落とされた最後の一滴のように、その言葉はサヨンの心に落ち、一杯に満たした。
そして、そのひと言が満たしたのは、これだけではなかった。サヨンのトンジュへの想いもまた、彼の優しさによって満ちたのだ。
溢れ出した心は涙となって流れ落ちる。サヨンの眼から透明な涙が次々にしたたり落ちた。
「サヨン、どうしたんだ。何故、泣く? 俺が何か気に障ることでも言ったか?」
「違うの、これは哀しみではなくて歓びの涙よ。あなたがそんな風に思っていてくれたなんて、そこまで私のことを心配してくれていたなんて、知らなかったもの」
そう言っている間にも、涙は次々に溢れてくる。
ただサヨンの予期せぬ逃亡を恐れたから、町で刺繍を売ることにトンジュが真っ向から反対した―、サヨンはそう思い込んでいた。よもや、その裏にトンジュの彼女を案じる心があるとは考えもしなかったのだ。
「判った、判ったから。もう泣くなよ、なっ」
トンジュが必死に慰める。急にサヨンが泣き出したので、慌てているのだ。トンジュを困らせてはいけない、泣き止まないといけないと思うのに、意思の力に反して涙は止まらなかった。
トンジュの優しさは不器用で無骨だ。恐らく一緒に暮らし始めてからの日々、彼は彼なりに精一杯優しさを示そうとしてきたに違いない。しかし、サヨンは最初から怯え、トンジュの優しさ―彼という男の内面を理解しようという努力はしなかった。
自分なりに理解してみようと努力した自覚はあるが、所詮、表向きなものでしかなかった。今なら、素直に認められる。サヨンは最初から彼に対して背を向けていた。
サヨンはトンジュの外見だけで、彼を判断していたのだろう。だからこそ、彼の本質を見極められなかった。
「おい、頼むから、泣き止んでくれよ」
トンジュの情けない声が聞こえてきて、やがて抱きしめられる。
「ああ、どうすれば、泣き止んでくれるんだ!?」
無骨な手がサヨンの背中を優しく撫でてくれる。その夜、サヨンはトンジュと心が近づいたように思えてならなかった。二人のこれからの関係に明るい希望が見えた瞬間だった。
トンジュの最後の言葉が心に滲みた。あと一滴で満杯になる杯に落とされた最後の一滴のように、その言葉はサヨンの心に落ち、一杯に満たした。
そして、そのひと言が満たしたのは、これだけではなかった。サヨンのトンジュへの想いもまた、彼の優しさによって満ちたのだ。
溢れ出した心は涙となって流れ落ちる。サヨンの眼から透明な涙が次々にしたたり落ちた。
「サヨン、どうしたんだ。何故、泣く? 俺が何か気に障ることでも言ったか?」
「違うの、これは哀しみではなくて歓びの涙よ。あなたがそんな風に思っていてくれたなんて、そこまで私のことを心配してくれていたなんて、知らなかったもの」
そう言っている間にも、涙は次々に溢れてくる。
ただサヨンの予期せぬ逃亡を恐れたから、町で刺繍を売ることにトンジュが真っ向から反対した―、サヨンはそう思い込んでいた。よもや、その裏にトンジュの彼女を案じる心があるとは考えもしなかったのだ。
「判った、判ったから。もう泣くなよ、なっ」
トンジュが必死に慰める。急にサヨンが泣き出したので、慌てているのだ。トンジュを困らせてはいけない、泣き止まないといけないと思うのに、意思の力に反して涙は止まらなかった。
トンジュの優しさは不器用で無骨だ。恐らく一緒に暮らし始めてからの日々、彼は彼なりに精一杯優しさを示そうとしてきたに違いない。しかし、サヨンは最初から怯え、トンジュの優しさ―彼という男の内面を理解しようという努力はしなかった。
自分なりに理解してみようと努力した自覚はあるが、所詮、表向きなものでしかなかった。今なら、素直に認められる。サヨンは最初から彼に対して背を向けていた。
サヨンはトンジュの外見だけで、彼を判断していたのだろう。だからこそ、彼の本質を見極められなかった。
「おい、頼むから、泣き止んでくれよ」
トンジュの情けない声が聞こえてきて、やがて抱きしめられる。
「ああ、どうすれば、泣き止んでくれるんだ!?」
無骨な手がサヨンの背中を優しく撫でてくれる。その夜、サヨンはトンジュと心が近づいたように思えてならなかった。二人のこれからの関係に明るい希望が見えた瞬間だった。
