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『untitled』

第5章 赤いシクラメン

タクシーは見慣れたホテルのエントランスに停車し、ドアが開くとスッとホテルマンが出迎える。

「さぁ、早く行きましょ!」

スキップでもしそうな勢いでホテルに入っていく背中を重い足取りで追っていく。

レストランにでも行くと思っていたが、彼女が向かったのは奥のエレベーター。

「どこ行くんだよ」

「監督がスイートルームを取ってくれたって。私、そこに泊まっちゃおうかなぁ」

タクシーを降りたからか、急に馴れ馴れしいというか猫撫で声に変わる。

これも女優が嫌いな所以だ。

エレベーターに乗り込むと、最上階のボタンを押した。

俺は後ろの壁にもたれ掛かると、階数表示板をジッと見つめる。

「一緒に泊まったり……します?」

目の前まで来ているのはわかったが視線を合わせる気はさらさらない。

「この前、撮られた人とでも泊まれば」

「撮られた人ねぇ……次は誰かなぁ?」

そう言って俺の隣に並んでくるから、今度はボタンの前へと移動する。

「もう、逃げないでよぉ。撮影も始まりますし、仲良くしましょ?」

めげずに俺の隣に来ると腕に腕を絡ませて、何なら胸まで押し付けてくる。

「別に……仲良くしなくったって仕事できるでしょ」

最上階に到着してドアが開くと、乱暴に絡まる腕を払いのける。

「…………いつまで持つかな?」

何か後ろで言っていたけど、前半部分が聞きとれなかった。

「今、なんて言った?」

聞き流せばいいはずなのに……何故か気になった。

「私に、興味持ってくれるの?」

「は?ちげーよ」

スタスタと歩き出すと、スイート専用のバトラーが少し驚いた顔で部屋のドアを開ける。

「あっ、ワインとつまめるもの……お願いね」

「はい、かしこまりました」

「勝手に頼んでいいのかよ」

「さっき監督から連絡があって、遅れるから先に始めてくれって」

まだ続く2人だけの時間の嫌気に俺は、その言葉を疑いもしなかった。

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