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君が桜のころ

第2章 花影のひと

スミは綾佳を慌ただしく広間の端に連れてくると、声を潜めて尋ねる。
「お嬢様、…今、お話されていた方は…」
「清賀様?」
「…え、ええ…あの、下のお名前は…」
「清賀礼人様よ。…どうしたの?スミ」
「…礼人様…。あの、お年はおいくつの方ですか?」
「確か、お兄様と同い年だと仰っていたわ」
スミは考え込む。
「…やはり…とすると、ご子息様かしら…」
綾佳は怪訝な顔をする。
「ねえ、一体どうしたの?」
スミは真剣な眼差しで更に尋ねる。
「…綾佳様、清賀様とどんなお話をされたのですか?」
「…どんな…て…。お母様のお話よ」
スミの顔が引き攣る。
「…清賀様はお母様にお会いされたことが何度かあるそうで、お母様のことをとても褒めていらしたわ。…あの口振りだと、お母様が憧れの方だったのかも知れないわ…」
綾佳は先ほどの清賀の熱っぽく綾子を語る様子を思い出し、微笑ましいような、切ないような気持ちになった。
スミの顔色が益々青くなる。
「…綾子様のお話を…。…他には何かお話をされましたか?」
「…いいえ、特には…。
そういえば、横浜の山下町にお住まいだそうで、私に遊びに来て欲しいと…」
スミはその言葉を聞いた途端、激しく首を振った。
「な、なりません…!行かれてはなりません!」
スミのそのように狼狽した顔を初めて見た綾佳は驚き、眼を丸くした。
「…行かないわ…。でも、どうしたの?スミ、貴女がそんなに取り乱すなんて…。ねえ、…もしかして、清賀様のことを知っているの?」
スミは恐ろしい話を聞いたようにすくみあがり、ひたすら首を振る。
「い、いいえ!いいえ!私は何も存じません。…ただ、初対面の方のお家に伺うことはとても危険ですので、なさらないようにと…。そ、それから…清賀様にはもうお会いにならないように…どうかお願い申し上げます。この通りでございます!」
震えながら頭を下げるスミに、綾佳は途方に暮れる。
生まれてこのかたずっと、綾佳を大切に慈しんで育ててくれた乳母のスミは、明るくのんびりした気性の持ち主だ。
そのスミがこのように何かに怯えたように取り乱す様子を初めて見た綾佳であった。
「…スミ…一体、どうしたの?」
尚も問いただそうとした時、足早に春翔が近づいてきた。
「良かった!綾佳ちゃん!どう?大丈夫だった?あいつに変なこと、されなかった?」
春翔が矢継ぎ早に質問する。

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