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20年 あなたと歩いた時間

第11章 手探りの日々

仕方なく僕はその裏にある、参考書の
コーナーにまわり、化学の問題集を
手にしてめくった。
どれも解き応えのなさそうな、
オーソドックスな問題だ。つまらない。
すぐに棚に戻して隣の問題集に手を伸ばすと
開架型書架の隙間からゆいの背中が見え、
手を止めた。
僕は少し考えて、ポケットから携帯電話を
取り出した。

『いまから、どっかいく?』

送信ボタンを押して、ポケットにしまうと、
同時にゆいの方から振動音が聞こえた。
メールを確認したゆいが、
ゆっくりと後ろを振り返る。
無表情で、音のない世界から、
薄い膜越しに。
僕は本気で、君をその静かな場所から
連れ出したいと思う。
風が葉を揺らす音や、
水が流れる音、
砂利がこすれあう音をもう一度
聞かせてあげたいと思う。
うん、とうなずいた彼女の手を握り、
僕らは本屋を出た。
雨は上がり、満月が近いらしい明るい空から
グレーがかった雲がはけてゆく。
見上げる景色は同じなのに、
聞こえる音は違う。
パーカの裾を引っ張られて、
斜め右下のゆいの方を見ると、
腕を振って走るジェスチャーをしている。

「うん。なんか、家にいたくなかったから」

できるだけ、はっきりと簡潔に。
要点をまとめる国語の問題は得意だ。
こういうときに役に立つんだな。
また、まっすぐ前を見て二人で歩く。
そのちいさな左手を自分のポケットに
引き入れて。
イマドキの無表情なガキでも、
キレやすい最近の若者でも、
勉強ばっかで他人とのコミュニケーションが
とれないありふれた子どもでも、
心の中にうずまく感情は
果てしない宇宙のようだ。
色んなことを考えて、打ち消して、
自分の経験値にあったピースで埋めていく。
いま、ぼくには「父親」というピースは
ないけれど、「恋人」のピースはある。
だから、ゆいの手を握って、歩くんだ。
守りたい人。
そう思える誰かがいなければ、
何もかも手放したくなるほど十五歳の僕は、
脆弱な心しか持っていなかった。


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