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月下にひらく華~切なさの向こう側~第6話【漢陽の春】

第16章 夢と現の狭間

 この屋敷の主人―県監はよほど薔薇を好んでいるのだろう。今、香花の眼に映じているのは、黄色と真紅のふた色の薔薇だった。ざっと見積もっても、全部で何十本とあるのではないか。
 四阿風のこの建物の傍らには石榴の樹が一本立っていて、まだ厳しい昼の陽差しを涼しげな緑の葉が遮っている。時折、陽差しには似合わぬ涼やかな風が吹き渡ると、石榴の樹がさわさわと葉音を立てた。
 こうしていると、まさに村の人暮らしと両班の暮らしの差は歴然としている。ここでは刻がゆったりと流れ、屋敷に暮らす人は生活の苦労を知らない。絹の華やかな衣裳を纏い、重たげな宝玉を惜しげもなく身に飾り、ただ季節をこうして膚で愉しんでいれば良い。が、ソロン村の人々はどうだろう。
 例えば隣家の朴夫妻は働きどおしに働いても、乳が十分に出るほどの食事もままならない。季節を考えるのは田畑を耕すため、日々の暮らしのためであって、間違っても、季節のうつろいに風雅を感じるゆとりなどあるはずがない。

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