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激愛~たとえ実らない恋だとしても~

第12章 第四話・其の壱

 美空は、きらきらと光る白い花たちを眩しげに見つめる。
「さりとて、公方さまのご政策とあらば、誰も異を唱えることはできぬ」
 美空が静かではあるけれど、きっぱりとした声音で言うと、永瀬は押し黙った。
「それに、日々の愉しみは何も衣装や簪―、身を飾るものだけにはあらず。己が務めに更に励むも良し、書物を紐解くも良し、そうじゃ、永瀬。そちは元は京から参った公家の出であると申すではないか、〝源氏物語〟などの物語を女中たちに講釈してやるというのも良いのではないか?」
 美空にしてみれば、愉しみを衣装などではなく、もっと別の知的欲求に代えてはどうかと提案したつもりだったが、これには永瀬は真顔で首を振った。
「御台さま。私は公家の出とは申せ、賤しい地下(じげ)人(びと)の娘にて、到底、そのような難しき講釈なぞ叶いませぬ。源氏物語につきましてもむろん内容は存じてはおりますが、他人に講釈するほどの教養なぞございませぬ」
 永瀬は元々は、先代家友公の側室の一人右京局のお付きの一人として京から下向してきた。家友公は高貴な女性を好み、京の公卿の姫君を二人、わざわざ側室として迎えている。その一人右京局は権中納言藤原久(ひさ)前(さき)卿の息女であった。もっとも、右京局のお付きとはいえ、永瀬は大勢の女中の中の一人で、生まれもさほどのものではなかった。そこを、先代御年寄滝川に認められたのだ。
 ちなみに、右京局は側室に迎えられた一年後、男児を一人あげたものの、その若君は生後一ヶ月で早世した。宮家から降嫁した御台所も一人の御子もなさず、今一人、絶世の佳人と讃えられた大和中納言大和(やまと)親(ちか)通(みち)卿の姫君を迎え、左京局と称したが、こちらもついに御子には恵まれなかった。やはり、京の公卿の姫は深窓の育ちで、蒲柳の質であったのか、家友公の子女を生んだのは右京局を除けば皆、江戸で生まれ育った側室たちであった。

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