
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第35章 哀しみの果て
幸いにも、奥方が戻ってきてから、泰雅はまた以前の穏やかさを取り戻しつつあるようだ。帰還したその夜から褥を共にし、毎夜、奥方の許で過ごす。その寵愛ぶりだけは以前にもまして尋常ではなかったが、それを除けば、泰雅は朝から奥座敷に閉じこもって酒を呑むこともなくなった。奥方と共に夜を過ごした後、朝は表に戻り、しばらくはなおざりにしていた政務にも復帰している。
むしろ、奥方の帰還は、荒れる一方であった泰雅には好影響を与えている。そのことは家臣一同よく判ったけれど、やはり、彼等の中から泉水への不信感はぬぐえなかった。それでも、泉水への泰雅のひとかたならぬ寵愛、更にただ一人の世継の生母であるという立場に、不承不承口をつぐんでいるといった状態だ。
しかも、泉水の実父槙野源太夫宗俊はつい先頃、勘定奉行から寺社奉行を経て、若年寄に抜擢されたばかりだ。先の筆頭老中阿倍定親などは新将軍の代になって早々に政界から去ったが、源太夫は相も変わらず重用されている。家利公は英明な君主だが、いかにせん、尾張藩主時代からの側近をそのまま幕閣においても重用しすぎて、〝尾張政治で世も終わり〟なぞという落首が江戸で一時、流行ったこともあった。
前将軍家宗公は政治を阿倍老中に任せっきりで、愛妾や寵童と大奥で遊び耽っているばかり、新将軍は江戸の町衆からも多大な期待をもって迎えられた。それだけに、最初こそは〝初代家康公の再来〟ともてはやされたものの、あまりに尾張藩時代の寵臣を大事にしすぎ、幕府の重要な役職は殆ど尾張藩時代の重臣で占められるという有り様になった。阿倍老中を初め、多くの有能な政治家が自ら政界を去り、或いは罷免された。
その中で、源太夫だけは悠々と水を得た魚のように相変わらず政界で活躍し、その手腕をふるっている。その清廉潔白な人柄だけでなく、政治家としての辣腕ぶり、有能さを現将軍家利公にも高く評価され、〝尾張政治〟と陰で悪く言われている今の幕閣においても変わらず重きをなしている。その今や飛ぶ鳥を落とす勢いの若年寄槙野源太夫の息女とあってみれば、榊原家としても泉水を無下には扱えない。
むしろ、奥方の帰還は、荒れる一方であった泰雅には好影響を与えている。そのことは家臣一同よく判ったけれど、やはり、彼等の中から泉水への不信感はぬぐえなかった。それでも、泉水への泰雅のひとかたならぬ寵愛、更にただ一人の世継の生母であるという立場に、不承不承口をつぐんでいるといった状態だ。
しかも、泉水の実父槙野源太夫宗俊はつい先頃、勘定奉行から寺社奉行を経て、若年寄に抜擢されたばかりだ。先の筆頭老中阿倍定親などは新将軍の代になって早々に政界から去ったが、源太夫は相も変わらず重用されている。家利公は英明な君主だが、いかにせん、尾張藩主時代からの側近をそのまま幕閣においても重用しすぎて、〝尾張政治で世も終わり〟なぞという落首が江戸で一時、流行ったこともあった。
前将軍家宗公は政治を阿倍老中に任せっきりで、愛妾や寵童と大奥で遊び耽っているばかり、新将軍は江戸の町衆からも多大な期待をもって迎えられた。それだけに、最初こそは〝初代家康公の再来〟ともてはやされたものの、あまりに尾張藩時代の寵臣を大事にしすぎ、幕府の重要な役職は殆ど尾張藩時代の重臣で占められるという有り様になった。阿倍老中を初め、多くの有能な政治家が自ら政界を去り、或いは罷免された。
その中で、源太夫だけは悠々と水を得た魚のように相変わらず政界で活躍し、その手腕をふるっている。その清廉潔白な人柄だけでなく、政治家としての辣腕ぶり、有能さを現将軍家利公にも高く評価され、〝尾張政治〟と陰で悪く言われている今の幕閣においても変わらず重きをなしている。その今や飛ぶ鳥を落とす勢いの若年寄槙野源太夫の息女とあってみれば、榊原家としても泉水を無下には扱えない。
