
胡蝶の夢~私の最愛~⑪【夢路・ゆめじ】
第22章 散紅葉(ちるもみじ)
「なるほど、そういうことか」
泰雅が口の端を引き上げる。何を言おうとしているのか判らず、眼を見開くと、泰雅が下卑た笑いを浮かべた。
「確か、篤次といったか。そなたの新しい男の名前は。そやつがここにしょっ中出入りしているそうではないか」
泉水は蒼ざめた。
「違います、篤次さんは、そんな男(ひと)ではありません。篤次さんとは―そんな関係は一切ありません。それだけは御仏に誓って申し上げます」
どうして、この男はそんな風にしか人を見ることができないのか。何でも色事絡みの問題としてしか見ることができないのだろうと、哀しくなった。
「よくも、そのようなたいそうなことが言えたものだな。そなたは自分の立場をわきまえておるのか? 泉水、そちはこの俺の、榊原泰雅の妻だぞ。直参旗本のれきとした内室でありながら、出奔、他の男と深間になれば、それは不義密通となる。この場で俺に無礼討ちにされたとて、文句は言えぬ」
「それはよく存じております。ただ、何度も申し上げますが、私は誓って、他の方と通じてなぞおりませぬ。それだけは、どうかお信じ下さいませ」
「フン、ぬけぬけとまだ申すか、よほど生命が惜しいのだな」
吐き捨てるように言われ、泉水は、そのときだけはキッとした。毅然とした態度で泰雅に言う。
「もとより、この生命一つ惜しんでなぞおりませぬ。江戸を出たときから、既に死は覚悟しておりました。それでも、生きながら地獄にいるような日々を過ごすよりはよほど良いと考え、思い切って屋敷を出たのです。もし、私をお手討ちになされることで、殿のお気がお済みになられるのであれば、私は歓んでこの生命を差し出しまする。どうか、ご存分になされませ」
泉水は洗い髪のままであった。解き流した豊かな黒髪を手で一つにまとめ横に流した。露わになった細いうなじを良人に向けて差しのべる。
今ここで生命果てたとて、悔いはない。先刻の言葉に嘘はないのだから。いつか遅かれ早かれ、この日が来ることは覚悟していた。
「そなた―、俺に抱かれるより死を選ぶと申すか」
泰雅の顔に一瞬、愕きの表情がひろがり、それはすぐに烈しい憤怒の形相に変わった。
泰雅が口の端を引き上げる。何を言おうとしているのか判らず、眼を見開くと、泰雅が下卑た笑いを浮かべた。
「確か、篤次といったか。そなたの新しい男の名前は。そやつがここにしょっ中出入りしているそうではないか」
泉水は蒼ざめた。
「違います、篤次さんは、そんな男(ひと)ではありません。篤次さんとは―そんな関係は一切ありません。それだけは御仏に誓って申し上げます」
どうして、この男はそんな風にしか人を見ることができないのか。何でも色事絡みの問題としてしか見ることができないのだろうと、哀しくなった。
「よくも、そのようなたいそうなことが言えたものだな。そなたは自分の立場をわきまえておるのか? 泉水、そちはこの俺の、榊原泰雅の妻だぞ。直参旗本のれきとした内室でありながら、出奔、他の男と深間になれば、それは不義密通となる。この場で俺に無礼討ちにされたとて、文句は言えぬ」
「それはよく存じております。ただ、何度も申し上げますが、私は誓って、他の方と通じてなぞおりませぬ。それだけは、どうかお信じ下さいませ」
「フン、ぬけぬけとまだ申すか、よほど生命が惜しいのだな」
吐き捨てるように言われ、泉水は、そのときだけはキッとした。毅然とした態度で泰雅に言う。
「もとより、この生命一つ惜しんでなぞおりませぬ。江戸を出たときから、既に死は覚悟しておりました。それでも、生きながら地獄にいるような日々を過ごすよりはよほど良いと考え、思い切って屋敷を出たのです。もし、私をお手討ちになされることで、殿のお気がお済みになられるのであれば、私は歓んでこの生命を差し出しまする。どうか、ご存分になされませ」
泉水は洗い髪のままであった。解き流した豊かな黒髪を手で一つにまとめ横に流した。露わになった細いうなじを良人に向けて差しのべる。
今ここで生命果てたとて、悔いはない。先刻の言葉に嘘はないのだから。いつか遅かれ早かれ、この日が来ることは覚悟していた。
「そなた―、俺に抱かれるより死を選ぶと申すか」
泰雅の顔に一瞬、愕きの表情がひろがり、それはすぐに烈しい憤怒の形相に変わった。
