テキストサイズ

霧霞ノ桜蕾

第1章 記憶ノ中デ光ルモノ*記憶喪失/事故/悲恋



カラカラ…


「──夕夜」


白い、“望月夕夜”と書かれた病室の扉を開ける。

そこに在る─風がカーテンを舞わせ、
それと同化しそうな程自然なあの日と変わらない
愛しい人の姿。

綺麗過ぎる、その死んでいるかの様な静かな寝顔。

起こしてしまわない様に、
なるべく音を立てず、ベッドの横にあった椅子に座る。

さらさらと、その漆黒色をした髪が風に弄ばれる。

それにそっと、触れる。


「─夕夜…──」


変わってない。

まだ少し幼さが残る顔付きも。
ゆっくり呼吸を繰り返す、息遣いも。
真っさらで綺麗な肌も
艶めき透き通った色を持つ髪も。

残酷な程に、変わらない。

変わってしまったのは、僕だけ。


「───」


─もしも。…もしもだよ。
この世に神が存在するのなら、
その人はなんて残酷で冷徹なヒトなんだろう。


───『どなた様、ですか…──?』


ふわりと香った、紫苑の花。
君と同じ、優しくて甘い香り。


「─…夕夜─好き、だよ」


君からの応答は無い。


──『僕も、ヒナが好きだよ』


聴こえたのは、滑稽過ぎる幻欲が造り上げた、
哀しく儚いあの日の残像。

それでも、ただ一つ─願ってもいいというのなら。


「─あいしてる」


叶う筈無いって、
そんな事分かってる。

だけど、ただ、もう一度だけ──


「───ひなた…?」

「っ、ごめん、起こした?」

「─ううん。今起きた…。何か、久しぶりだね」

「そうだね。─あっ、花瓶。えっと、水代えてくる」

「うん」


少しだけ、居た堪れない気持ちが芽を出し
誰かが持って来たであろう、花が活けてある花瓶を持って、病室を後にした。


──紫苑が、またひとつ香る。



君が触れた場所に、そっと触れる。
自然と零れる笑み。

陽向、ひなた──…ヒナ─。

なんて純粋で真っ直ぐで綺麗な子なんだろう。


「──ヒナ」


僕はこんなにも醜くて最低な奴なのに。

─それでもまだ、君は僕を愛してくれるの?


ねぇ、ヒナ

「─僕も、君を愛してるよ」




 ーfinー

ストーリーメニュー

TOPTOPへ